私たちが毎日のように使っている口紅やチーク。その「赤」は、いつ、どこで生まれたのでしょうか。 古代の人々は、身近な土や鉱物、植物から色を取り出し、唇や頬を彩ってきました。 赤は美しさの象徴であり、時に身を守る力を持つ色でもありました。
本記事では、古代オリエント・中国・日本、そして近代へと続く「赤い化粧」の歴史をたどりながら、 口紅という小さな化粧品に込められた文化と技術の歩みを紹介します。
目次
・【1】古代オリエント|土や鉱物から生まれた「赤」
・【2】中国|紅花から生まれた「紅」
・【3】日本|紅花が彩った江戸の紅化粧
・【4】赤からピンク、オレンジへ|口紅の色が増えていった時代
・【5】まとめ
【1】古代オリエント|土や鉱物から生まれた「赤」
古代エジプトやメソポタミアでは、自然界にある土や鉱物を利用して、唇や頬に赤みを加える化粧が行われていました。

<1-1>赤い色の正体は「赤土」や赤い鉱物
古代の赤色顔料として代表的なのが、「赤土(レッドオーカー)」です。
赤土は、鉄を含む鉱物によって赤くなった天然の土や粘土質の顔料。なかでも「赤鉄鉱(ヘマタイト)」は、酸化鉄を主成分とする赤色の鉱物で、細かく砕くと赤から赤褐色の顔料になります。
古代の人々は、こうした赤い土や鉱物を採取し、細かくすりつぶして粉末状の顔料にしました。それを水などと混ぜ、唇や頬に塗れる状態にして使っていたと考えられています。
<1-2>エジプトとメソポタミアに残る「赤い化粧」
古代エジプトでは、赤色顔料のパレットなどが見つかっており、赤土を利用した化粧文化が確認されています。
一方、メソポタミアのシュメール都市ウルにある王墓からも、赤い化粧料が出土しています。紀元前2600年頃の王妃「プアビ(Puabi)の墓」から見つかった化粧用の容器には赤い顔料が残されており、唇などの彩色に使われたと考えられています。
コラム|赤・緑・黒―色ごとに使う場所が違った
古代エジプトの化粧というと、目の周囲を黒く縁取ったアイメイクが印象的ですが、使われていた色は黒だけではありません。
緑の代表がマラカイト。
銅を含む鉱物で、鮮やかな緑色をしています。古代エジプトでは、主に目の周囲に塗る化粧に使われました。現代のアイシャドウに近いものと考えると分かりやすいでしょう。
そして、古代エジプトのアイメイクを象徴するのが「黒いコール(Kohl)」です。コールは鉱物などを原料とした黒色の化粧料で、目の縁を黒く描くために使われました。
では、なぜ目の周りを黒くしたのでしょうか?
考えられる理由は、大きく3つあります。
1) 目を大きく、くっきり見せるため
黒で目の輪郭を強調することで、目元を印象的に見せる美容目的です。現代のアイラインにも通じる使い方です。
2)強い日差しから目を守るため
黒い化粧料が、強い日差しによるまぶしさを軽減するのに役立った可能性があります。
3) 身を守るため
古代エジプトでは、目を病気や邪悪なものから守るという考えがあり、目元の化粧には護身や宗教的な意味も重なっていました。
つまり、黒いアイメイクは「おしゃれ」だけではなく、美容・実用・信仰という複数の意味を持っていたと考えられます。
一方、今回紹介した赤土(レッドオーカー)は、唇や頬の彩色に使われました。
このように古代エジプトでは、顔の場所によって異なる色や顔料を使い分けていました。土や鉱物を細かく砕き、それぞれの色を活かして顔を彩る――。そこには、すでに高度な「色の化粧文化」があったのです。
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<1-3>イランで見つかった「塗る口紅」
2024年、イラン南東部のケルマーン州ジーロフト周辺から、約4000年前の化粧料が見つかり、大きな注目を集めました。
紀元前2000年頃の墓から出土したのは、赤い粉末状の物質が入った小さな石製容器。細長い円筒形をした容器の中身を分析したところ、ヘマタイトなどの赤色鉱物が確認されました。
さらに、植物性のワックスや油、その他の有機物質も含まれていることが分かりました。
つまり、赤い顔料だけを粉末のまま使ったのではなく、ワックスや油などを加えて、唇に塗り広げやすい化粧料に仕上げていた可能性があります。
この組み合わせは、現代の口紅にも通じるものです。顔料や色素に油脂やワックスなどを加えることで、唇に塗りやすく、色がつきやすい化粧料になります。
約4000年前のイランで、すでに「赤い色材を油やワックスと組み合わせ、唇に塗る」という、現代の口紅にも通じる発想があったことを示す貴重な資料なのです。
【2】中国|紅花から生まれた「紅」
中国で発達した「赤」は、植物から取り出す赤でした。
その代表が、「紅花(ベニバナ)」です。
実は、紅花は中国原産の植物ではありません。紅花はエジプトを起源とする説があり、古代エジプトでは紀元前2千年紀頃には栽培され、赤や黄色の染料として利用されていました。ペルシャやインドなどでも古くから染料として使われています。
中国でも古くから紅花が利用され、周代にはすでに赤色染料として使われていたとする資料があります。その後、漢代にも紅花の利用が広がっていきました。
<2-1>なぜ黄色い花から「赤」が作れるの?
紅花の花は、咲いたばかりの頃は黄色ですが、花びらには黄色の色素とともに、「カルタミン(carthamin)」という赤色色素が含まれています。
昔の人々は、花びらを水にさらして黄色の色素を取り除き、残った赤色の成分を取り出しました。カルタミンは水に溶けにくいため、さらにアルカリ性の液などを使って赤色を取り出すという、手間のかかる工程が必要でした。
しかも、紅花から取れる赤色はわずかです。鮮やかな赤を得るには多くの花と手間が必要で、美しい紅ほど貴重な色でした。
こうして作られた紅は、布を染めるだけでなく、唇や頬に赤みを加える化粧料としても使われました。中国では、紅花から作った赤色顔料を化粧用の紅として利用する文化が発達していきます。
紅花紅は宮廷だけの特別な化粧料ではなく、時代が下るにつれて女性の化粧に広く使われるようになりました。ただし、鮮やかな紅は手間がかかるため、高価なものでもありました。
<2-2>「紅」は女性の美を表す言葉にも
「紅」という言葉は、単に赤や紅色を表すだけでなく、やがて女性の化粧や美しさを表す言葉としても使われるようになります。
たとえば、古典的な表現には次のようなものがあります。
| 言葉 | 意味・使い方 |
|---|---|
| 紅顔(こうがん) | 赤みを帯びた若々しい顔。転じて、若者・青年を指すこともあります。「紅顔の美少年」などの表現があります。 |
| 紅唇(こうしん) | 赤く彩られた唇、または美しい女性の唇を表す文学的な表現です。 |
| 紅妝(こうしょう) | 紅をつけて化粧した女性、または女性の華やかな装いを表す古典的な言葉です。「紅妝」と「白粉」など、女性の化粧や装いを表す文脈で使われます。 |
これらは現代の日常会話で普通に使う言葉ではありません。現在も漢詩・文学・歴史的な文章などで見かけることはありますが、いずれも古典的・文学的な表現です。
つまり、「紅」という色は、単に唇や頬を赤くするための化粧料だっただけではありません。長い間使われるうちに、「赤い色」そのものが、若さや美しい唇、女性の華やかな姿を連想させる言葉にもなっていったのです。
そして、この紅花を使った「紅」の文化は、後に日本にも伝わっていきます。
【3】日本|紅花から生まれた「紅」
中国から伝わった紅花は、日本でも栽培されるようになり、染料や薬用だけでなく、化粧用の紅としても使われるようになりました。
紅花は古く中国を経て日本に伝来したとされ、江戸時代には各地で栽培されるようになります。なかでも山形の最上地方は日本を代表する紅花産地となり、収穫された紅花は上方へ運ばれ、染料や化粧用の紅に加工されました。
紅花から取れる赤色色素はごくわずかなため、紅は決して安価な化粧料ではありませんでした。それでも江戸時代には、宮廷や一部の上流階級だけでなく、町人女性にも紅化粧が広がっていきます。
唇だけでなく、頬や爪などにも紅を使う化粧が行われ、時代や地域によって塗り方や濃さにも流行がありました。京都では濃く、江戸では薄くつける傾向があったともいわれています。
高価な紅だからこそ、使う量や塗り方を工夫しながら、それぞれの美意識に合わせて楽しんでいたのです。
<3-1>紅皿・紅板に入れて使う
紅は、紅皿や紅板などの容器に入れて使われました。
紅を小皿や貝殻などに塗り重ねて乾燥させたものを、水を含ませた紅筆で溶いて唇などに塗ります。
江戸時代には、二つ折りの板に紅を塗った紅板など、携帯できる紅入れも作られていました。
<3-2>江戸後期に生まれた「笹紅」
江戸時代後期になると、紅の使い方にも個性的な流行が登場します。
その代表が、「笹色紅(笹紅)」です。
紅を何度も重ねると、紅に含まれる色素の性質によって、光の当たり方で玉虫色のような緑色の光沢が現れます。
文化・文政期には、この性質を利用して下唇を緑色に光らせる化粧が流行しました。
当時の紅は「紅一匁、金一匁」といわれるほど高価だったため、たっぷり紅を使う笹色紅は、ぜいたくなおしゃれの象徴でもありました。
一方で、紅を大量に使えない場合には、墨などを下地にして少量の紅を重ね、光沢を出す工夫もありました。
赤い紅を塗るだけではなく、紅そのものの性質を利用して、光まで楽しむ。
江戸時代の紅化粧には、そんな遊び心もあったのです。
【4】赤からピンク、オレンジへ|口紅の色が増えていった時代
長いあいだ、唇の化粧といえば赤が中心でした。
ところが、20世紀に入ると口紅の色は少しずつ増えていきます。
1920年代には、すでに赤だけでなく、ピンクやコーラル系(橙色を帯びた色)の口紅が登場していました。映画や雑誌などの影響で化粧そのものが広く普及し、肌の色やファッションに合わせて口紅の色を選ぶようになっていきます。
1930年代になると、赤やオレンジ系の唇が流行します。日本でも昭和初期には、赤のほかオレンジ系やピンク系の棒口紅が販売されていました。
つまり、現在のように「赤・ピンク・オレンジ・ベージュ……」と口紅の色を自由に選ぶ文化は、古代から続いていたものではなく、20世紀になって化粧品の工業化や映画、広告、ファッションとともに発達したものなのです。
<4-1>「ピンク」が流行色になる
日本でピンクの口紅が大きな流行となるのは、さらに後のことです。
1960年には、マックスファクターが「ローマンピンク」というキャンペーンを展開。ピンクの口紅が新しい女性らしさを象徴する色として注目されました。カラーテレビの普及も、口紅を含む色彩豊かなメイクを広めるきっかけの一つになりました。
それまでの日本の化粧は、白い肌・黒い眉や目元・赤い唇という「白・黒・赤」が基本でした。そこにピンクなどの新しい色が加わり、口紅は「唇を赤くするもの」から、ファッションや肌色に合わせて選ぶ色へと変わっていきます。
こうして口紅は、自然界にある「赤」を唇に移すものから、好きな色を選んで楽しむ化粧品へ。
現在、私たちが当たり前のように選んでいるピンクやオレンジ、ベージュ、ブラウン、紫などの口紅は、こうした20世紀の化粧文化の変化の先にあるのです。
まとめ
土や鉱物の赤から、紅花の赤、そして現代の多彩な色へ。 口紅の歴史は、素材の変化だけでなく、人々の美意識や文化の移り変わりを映し出してきました。
古代の人々が自然から色を取り出し、丁寧に顔を彩った行為は、 現代の私たちが好きな色を選んでメイクを楽しむ姿へとつながっています。
小さな一本の口紅の裏には、数千年にわたる工夫と美の探求がある。 その歴史を知ることで、いつものメイクが少しだけ特別に感じられるかもしれません。