夜の静けさの中でふと耳に届く虫の声。
その小さな響きは、季節の移ろいだけでなく、古くから人々の暮らしや感性にも寄り添ってきました。
声を頼りに虫を探し、姿を眺め、時にはその虫をめぐって遊びが生まれることもあったほどです。
コオロギの鳴き声を手がかりに、虫と人が紡いできた長い時間をたどってみましょう。
目次
・【1】コオロギの鳴き声
・【2】鳴く虫の声を楽しむ文化
・【3】中国|コオロギを「闘わせる」
・【4】まとめ
【1】コオロギの鳴き声
秋の夜に聞こえるコオロギの声。
私たちには風情のある「秋の音」ですが、コオロギにとっては、もっと重要な意味を持つ音です。
鳴いているのは、基本的にオスです。
コオロギの仲間は、翅(はね)の一部をこすり合わせることで音を出します。
この音は、メスを呼んだり、自分の存在を知らせたりするため。繁殖に関わる大切なコミュニケーションなのです。
また、種類によって音の高さや速さ、リズム、鳴く間隔などが異なります。
代表的なコオロギの仲間の鳴き声は、次のような特徴があります。
| 虫 | 鳴き声 |
|---|---|
| エンマコオロギ | コロコロリー |
| ツヅレサセコオロギ | リーリーリー…… |
| マツムシ | チン・チロリン |
| スズムシ | リーン、リーン |
| カネタタキ | チン・チン・チン |
| カンタン | ルルルルル…… |
※実際の聞こえ方には個体差や人による表現の違いがあります。
<1-1> 日本の「コオロギ」
普段私たちが「コオロギ」と呼んでいる虫の中には、実はいくつもの種類があります。
代表的なのがエンマコオロギ。
🔽【動画】エンマコオロギの鳴き声
そして、ツヅレサセコオロギなども身近なコオロギです。
一方、秋の鳴く虫としてよく知られるマツムシ、カネタタキ、スズムシ、カンタンなども、広い意味ではコオロギ類の仲間として扱われます。
🔽【動画】カンタンの鳴き声
ただし、生物学的にはすべてが「コオロギ科」に分類されるわけではありません。
そのため、この記事では厳密な分類上の意味ではなく、「コオロギ類」=コオロギに近縁な、秋によく鳴く虫たちという少し広い意味で見ていきます。
🔽【動画】秋の虫の図鑑
【2】鳴く虫の声を楽しむ文化
日本や中国では昔から、虫の声を聴くことが楽しまれてきました。
コオロギ、スズムシ、マツムシ、カンタン、カネタタキ、キリギリス、クツワムシなど、秋に鳴くさまざまな虫が「秋の虫」として親しまれてきたのです。
<2-1>日本
1) 奈良時代
鳴く虫を愛でる文化は、古く奈良時代までさかのぼります。
『万葉集』には「こおろぎ」を詠んだ歌が残されています。
ただし、当時の「こおろぎ」は、現在の特定の一種を指していたとは限らず、鳴く虫を広く指す場合もあったと考えられています。
2) 平安時代
平安時代になると、鳴く虫を楽しむ文化はさらに洗練されていきます。
鳴く虫を籠に入れて、その声を楽しむ。
虫を野に放つ「野放ち」。
野に出て虫の声を楽しむ「虫聞き」。
鳴く虫を選んで捕らえ、宮中などへ届ける「虫選び」。
こうした遊びが貴族の間で行われていました。
『枕草子』にもスズムシやマツムシ、キリギリスなど、好ましい鳴く虫が登場します。
また、『源氏物語』の「鈴虫」の巻では、虫を庭に放したり、その声を楽しみながら宴を催したりする場面が描かれています。
🔽【動画】平安時代:虫を愛でる文化
3)江戸時代
この文化は貴族だけのものではなく、やがて庶民にも広がっていきます。
江戸時代中期には、鳴く虫を販売する「虫売り」という商売まで成立しました。
🔽【動画】江戸時代:虫売り
秋になると、虫を入れた籠を売る店や屋台が登場。
特にスズムシなどは飼育技術も発達し、卵を加温して早く成虫にする技術まで生まれました。
虫籠にもこだわりが生まれます。
竹製の素朴な籠だけでなく、漆や蒔絵を施した美しい籠も作られました。
コラム:道灌山は「虫聞き」の名所だった
江戸時代の名所のひとつに、現在の東京都荒川区付近にあたる「道灌山(どうかんやま)」があります。
ここは秋になると虫の声を楽しむ人々が集まる「虫聞き」の名所として知られ、当時の記録には、鈴虫を聞く場所、松虫を聞く場所といった“虫の種類ごとのスポット”まで紹介されています。
東京都立図書館が所蔵する江戸名所図会などの資料にも、道灌山で虫の声を楽しむ人々の様子が描かれており、江戸の人々が虫の声を細やかに聞き分けていたことがうかがえます。
虫籠を手にして虫を飼うだけでなく、自然の中で「どの虫がどこで鳴くのか」を味わうという、江戸ならではの楽しみ方があったのです。
🔽【動画】江戸時代:「虫聴き」や「虫売り」
<2-2> 中国
中国にも、古くから鳴く虫を楽しむ文化がありました。
少なくとも唐代には、宮廷の女性たちが鳴く虫を飼い、その声を楽しんでいたとされています。
特にキリギリスの仲間などが好まれ、小さな籠に入れて持ち歩いたり、街で売られたりする文化もありました。
中国では、ひょうたんや木製の容器など、鳴く虫を飼うための独特の容器も発達しました。
小型の鳴く虫を小さな容器に入れ、ポケットに入れて持ち歩きながら声を楽しむ習慣も紹介されています。
日本では虫籠を眺めながら家や庭で虫の声を楽しむ。
中国では小さな容器に虫を入れて、持ち歩きながら声を楽しむ。
同じ「鳴く虫を愛でる文化」でも、少しずつスタイルが違っていたのです。
1)北京で受け継がれる「鳴虫文化」
中国では、「蛐蛐(コオロギ)」だけでなく、「蝈蝈(キリギリス類)」や「油葫芦(オオコオロギ類)」など、さまざまな鳴虫が古くから親しまれてきました。
特に北京では、宮廷文化と庶民文化が交わる中で独特の鳴虫文化が育ち、蝈蝈は「四大鳴虫」の一つとして人気を集めました。
宋代には飼育が始まり、明・清の時代には宮廷から民間まで広く楽しまれ、専用の容器や飼育法も発達しました。
現代でも、北京の民俗として鳴虫を飼う文化が紹介されており、CCTVのドキュメンタリー《玩味京城》第三季 第二集「蝈蝈」では、その歴史と人々の暮らしの中で受け継がれてきた鳴虫文化が描かれています。
🔽【動画】中国の鳴虫文化|蝈蝈(キリギリス類)
2)現代の北京で続く「鳴虫の市場」
北京では、鳴虫を飼う文化が今も受け継がれています。 市内の「十里河花鳥魚虫市場」には、蝈蝈(キリギリス類)や蛐蛐(コオロギ)、油葫芦(オオコオロギ類)などの鳴虫を扱う店が並び、秋になると多くの愛好家が訪れます。 店頭には、ひょうたん型の虫入れ(瓢箪葫芦)や木製の小さな容器など、伝統的な飼育道具も並び、かつての宮廷文化や民間の習慣が現代の都市生活の中に息づいていることがうかがえます。
🔽【動画】北京の「十里河花鳥魚虫市場」で鳴虫を売る様子
【3】中国|コオロギを「闘わせる」
中国のコオロギ文化を語るうえで欠かせないのが、「闘蟋(とうしつ)」です。
闘蟋とは、オスのコオロギ同士を戦わせ、勝敗を競う遊び。
いわば「コオロギ相撲」です。
中国では長い歴史を持つ伝統文化として知られ、その起源については諸説ありますが、少なくとも宋代には闘蟋の文化が成立していたことが確認されています。近年の紹介では、唐代に起源を求める説もあります。
コオロギのオスは繁殖期になると縄張りをめぐって他のオスと争い、メスを呼ぶために鳴き声を発します。
つまり、鳴くことも闘うことも、コオロギにとっては繁殖に関わる自然な行動でした。
🔽【動画】闘蟋(コオロギ相撲)
<3-1>千年以上続く「コオロギ相撲」
闘蟋の歴史をたどると、中国の歴代王朝とともにその文化が続いてきたことが分かります。
唐代には宮廷でコオロギを楽しむ文化が広がったとされ、宋代には闘蟋が盛んになります。
南宋時代になると、その熱狂ぶりを象徴する人物が登場します。
それが、宰相の「賈似道(かじどう)」です。
賈似道はコオロギに熱中したことで知られ、ついには「蟋蟀宰相」=コオロギ宰相と呼ばれるほどでした。
彼はコオロギの飼育や闘蟋についてまとめた『促織経』を著したとされます。
そこでは、コオロギの形態や体色、捕獲、飼育など、コオロギをめぐる細かな知識が扱われました。
また、中国ではコオロギを「促織」と呼ぶ古い用例もあり、コオロギの鳴き声と秋の機織りを結びつける中国古来の季節感が表れています。
なお、中国ではコオロギを「蟋蟀(シーシュアイ)」と呼び、北方中国語などでは「蛐蛐(チューチュー)」という口語的な呼び方も使われます。闘蟋で用いられる代表的なコオロギの一つには、迷卡斗蟋(Velarifictorus micado)があり、日本のツヅレサセコオロギと同じ種です。
<3-2>強いコオロギを「育てる」
闘蟋では、ただコオロギを捕まえてきて戦わせればいいわけではありません。
強い個体を選び、
- 体格
- 闘争性
- 動き
- 顎の強さ
- 持久力
などを見ながら飼育していきます。
そのため、中国ではコオロギを育てるための飼育容器や餌、管理方法なども発達しました。
中国のコオロギ文化を紹介した専門書『闘蟋 中国のコオロギ文化』でも、コオロギ文化の歴史だけでなく、飼育、道具、上海のコオロギ文化などが取り上げられています。
こうした飼育技術は、現代にも受け継がれています。
CCTVのドキュメンタリー《驯虫记》では、山東省寧陽(闘蟋の本場)で捕獲された「紅牙黄(闘蟋で使われる有名な個体名で、赤い顎を持つ強いタイプ)」というコオロギが、飼育者によって選抜され、闘蟋用の個体として育てられていく様子が紹介されています。
🔽【動画】闘蟋文化(コオロギの格闘・訓練)
<3-3>皇帝まで熱中した闘蟋
明代には、コオロギ好きで知られ、「コオロギ皇帝」と呼ばれることもある宣徳帝の存在が知られています。 宣徳帝は宮廷内に専用の飼育部屋を設け、臣下に良質なコオロギを探させるほど熱中しました。 強い個体を得るために地方から献上されることもあり、闘蟋は宮廷の一種の娯楽として確立していきます。
宮廷では、コオロギの飼育容器や餌、温度管理などが細かく整えられ、 「皇帝のコオロギを育てる」こと自体が職務として成立していました。 強いコオロギは高く評価され、時には珍しい品物と交換されることもあったと伝えられています。
さらに清代にも、宮廷や皇室を含めてコオロギを楽しむ文化が続きます。 乾隆帝の時代には、宮廷で鑑賞用のコオロギや闘蟋用の個体が飼育され、 専用の「蟋蟀房(コオロギ部屋)」が設けられた記録も残っています。
こうして闘蟋は、庶民の娯楽であると同時に、 皇帝や高官までも魅了した中国独自の伝統文化として発展していきました。
コラム:日本にもあった「虫合戦」
中国の闘蟋は、オスのコオロギ同士を戦わせる独特の文化として知られていますが、実は日本にも虫を競わせる遊びが存在しました。 平安時代の『枕草子』や『源氏物語』には、コオロギやキリギリスを籠に入れ、鳴き声や動きの優劣を比べる「虫合わせ」が登場します。 当時は貴族の遊びとして親しまれ、虫の声や姿を鑑賞しながら、どちらが優れているかを競う穏やかな遊びでした。
室町〜江戸時代になると、虫合わせは庶民にも広がり、秋になるとスズムシやマツムシを持ち寄って鳴き声を比べる風習
が各地で見られました。 一部の地域では、虫を向かい合わせて動きを競わせたり、軽く突いて勝敗をつける遊びも記録されています。 ただし、日本の虫合戦は「動きの競争」や「鳴き声の優劣」が中心で、中国の闘蟋のように噛ませて戦わせる格闘競技ではありません。 この点が、両者の文化の違いといえます。
🔽【動画】日本:虫を競わせる遊び
<3-4>民国期
清代の宮廷で続いたコオロギ文化は、やがて皇室の枠を越えて都市へと広がっていきます。
一方、闘蟋は山東や江蘇などの農村でも古くから親しまれており、近代になると、こうした農村の文化と宮廷文化の双方を背景に、都市でも独自の発展を遂げました。
特に北京と上海は、都市型の闘蟋文化が強く育った地域として知られています。
北京では、宮廷文化と庶民文化が交わる中で闘蟋が洗練され、上海では市場や専門店が発達しました。
飼育容器や餌、闘蟋用の道具なども流通し、愛好家たちが集まる場も生まれます。
天津にも愛好家や市場が存在し、北京や上海とともに都市の闘蟋文化を支えました。
こうして闘蟋は、農村の季節の娯楽から、都市の市場や愛好家を巻き込む一つの生活文化へと広がっていったのです。
<3-5>コオロギワールドカップ
現代の中国でも、コオロギを戦わせる大会が開催されています。
その代表的な舞台の一つが、山東省寧陽です。
2018年から「寧陽蟋蟀世界杯(コオロギ・ワールドカップ)」が開催され、2020年の大会では、総額120万元の賞金が設定されました。
団体優勝賞金は、なんと40万元。
日本円にすると当時のレートで約600万円にもなる金額です。
さらに、多数のチームと数千匹規模のコオロギが参加する大会へと発展しました。
🔽【動画】テレビ中継版:全国規模の闘蟋大会(2020)
まとめ
古代の歌から宮廷の遊び、そして現代の大会まで。
コオロギをめぐる文化は、時代を越えて形を変えながら受け継がれてきました。
自然の中に響く虫の音が、人々の感性や創意工夫を刺激し続けてきたのです。
秋の夜にコオロギの声を聞いたとき、その背後にある長い歴史と豊かな文化を思い浮かべれば、身近な自然が少し特別なものに感じられるでしょう。