巨大なクジラは、時代や地域によってまったく異なる存在でした。
ある国では街を照らすための「油田」であり、ある国では人々の食卓を支える貴重な食料でした。そして北極圏では、過酷な自然を生き抜くための命綱として受け継がれてきました。
前回のマタギ特集では、山の恵みを余すことなく活用する狩猟文化を紹介しました。では、海の最大の獲物であるクジラは、世界でどのように利用されてきたのでしょうか?
本記事では、鯨文化を大きく三つに分けてたどります。鯨油を求めて世界中の海を駆け巡った欧米の捕鯨、商業利用と食文化が共存した日本やノルウェー、そして今も伝統と生活を支える北極圏の生存捕鯨です。
同じクジラを追いながらも、その向こうにあった価値観はまったく異なっていました。人とクジラの関係をたどることで、それぞれの地域が育んできた文化や暮らしの姿が見えてきます。
目次
・【1】油を求めて乱獲した欧米
・ <1-1>欧米|鯨油の確保
・ <1-2>イギリスと北極海捕鯨
・ コラム|鯨ヒゲとは?最強の加工素材
・ <1-3>世界最大の捕鯨国家アメリカ
・ コラム|どれくらいの量を廃棄したの?
・ <1-4>資源の枯渇と石油の登場
・ コラム|軍用ソナーの影響
・【2】商業捕鯨と食文化が両立した国
・ <2-1>日本
・ <2-2>ノルウェー
・ <2-3>アイスランド
・ <2-4>韓国
・ コラム|クジラが混獲されるの?
・【3】生存捕鯨の世界
・ コラム|極北の捕鯨先住民たち
・ <3-1>アラスカ先住民
・ <3-2>グリーンランド
・ <3-3>ロシア極東
・ コラム|アザラシやトナカイと何が違う?
・ <3-4>世界に残る伝統捕鯨
・ コラム|極北と南洋の生存捕鯨比較
・【4】まとめ
【1】油を求めて乱獲した欧米
欧米の捕鯨文化は、日本や韓国のように食料としてクジラを利用する文化とは大きく異なっていました。17世紀から19世紀にかけての欧米では、クジラは主に鯨油やヒゲを得るための産業資源として扱われ、捕鯨は国家経済を支える重要産業へと発展しました。
鯨油は照明用燃料や機械の潤滑油、石鹸などの原料として広く利用され、ヒゲはコルセットや傘の骨などに加工されました。その一方で、食用としての利用は限定的で、多くの肉や内臓、骨が廃棄されていました。
こうした需要の高まりによって捕獲規模は急速に拡大し、近海のクジラが減少すると捕鯨船は世界中の海へ進出していきます。欧米の捕鯨史は、近代産業の発展を支えた一方で、大規模な資源消費と乱獲の歴史でもありました。
<1-1> 欧米|鯨油の確保
欧米の捕鯨史を特徴づけるのは、クジラを食料ではなく「油を生み出す資源」として利用したことでした。17〜19世紀のヨーロッパとアメリカでは、鯨油はランプの燃料として街を照らし、工場の機械を動かし、石鹸や潤滑油の原料として利用される重要な産業資源でした。
そのため捕鯨業の最大の目的は鯨油の確保にあり、クジラ一頭の価値は食肉よりも脂肪層にありました。捕獲されたクジラは解体され、脂肪から鯨油が採られましたが、当時の欧米では鯨肉を食べる習慣が一般的ではなかったため、肉や内臓、骨の多くは十分に利用されませんでした。
特に産業として捕鯨が拡大すると、効率的に鯨油を回収することが優先されるようになります。冷蔵技術が未発達だったこともあり、長期間の航海で大量の肉を保存することは困難でした。その結果、価値の高い鯨油を中心に利用し、それ以外の部分を廃棄するケースが少なくありませんでした。
こうして鯨油産業は巨大な利益を生み出しましたが、その代償としてクジラの個体数は急速に減少していきます。近海のクジラが減ると捕鯨船はさらに遠洋へ進出し、より多くのクジラを求めて世界中の海を航海するようになりました。後の国際的な捕鯨規制は、この時代の大規模な乱獲を背景として生まれることになります。
<1-2> イギリスと北極海捕鯨

欧米の商業捕鯨の基礎を築いたのがイギリスとオランダによる北極海捕鯨でした。
ヨーロッパの捕鯨の起源は、9世紀頃のビスケー湾沿岸におけるバスク人の沿岸捕鯨にまでさかのぼります。彼らは遊泳速度が遅く、死後に海面へ浮かびやすいセミクジラを主な標的としていました。「Right Whale(セミクジラ)」という英名も、「捕獲するのに都合の良いクジラ」という意味に由来するとされています。
17世紀に入ると、北極海のスピッツベルゲン島周辺でセミクジラやホッキョククジラが豊富に見つかり、イギリスやオランダの船団が相次いで進出しました。なかでもイギリスは政府の支援を受けながら、グリーンランド海域を中心に大規模な捕鯨産業を発展させていきます。
当時求められていたのは鯨油だけではありませんでした。ヒゲクジラ類のヒゲは軽くてしなやかな素材として珍重され、コルセットや傘、家具などさまざまな製品に利用されました。鯨油とヒゲはヨーロッパ市場で高値で取引され、捕鯨は重要な国家産業の一つとなっていったのです。
こうして発展した北極海捕鯨は、後の欧米諸国による大規模商業捕鯨の原型となり、「クジラを産業資源として大量利用する」という近代捕鯨モデルを形作りました。
コラム|鯨ヒゲとは?最強の加工素材

「ヒゲ」という名前がついているため、顔や口の周りに生える毛を連想しがちですが、実際にはまったく異なる器官です。
鯨ヒゲは顔の表面ではなく、上あごの内側(口の中)から並んで生えている「歯が変化した角質板(バリーン)」です。成分は人間の爪や髪の毛と同じ「ケラチン」というタンパク質でできています。
シロナガスクジラやセミクジラなどのヒゲクジラ類には歯がありません。その代わりに、上あごから吊り下がった数百枚ものヒゲ板が「巨大なフィルター(こし器)」の役割を果たします。海水を大量に口に含んだ後、舌で海水を押し出すと、ヒゲの隙間にオキアミや小魚だけが引っかかり、それらを舐めとって捕食する仕組みです。
プラスチックなき時代の「最強の加工素材」
この「強い水圧に耐えながらしなる、頑丈でしなやかな角質構造」こそが、プラスチックや軽量金属が存在しなかった18〜19世紀において、加工素材として高値で取引された理由です。
当時のイギリス、フランス、アメリカなどでは、軽くて折れにくい優れた天然素材として、主に女性向けファッション用品の骨組み材料として重宝されました。体を締め付けて美しいシルエットを作る「コルセットの芯材」、ドレスのスカートを大きく膨らませる「クリノリン(骨組み)」、さらには日傘や雨傘の骨など、当時の流行やライフスタイルを陰で支える重要な産業資源だったのです。
1)英国男性は傘がNG?
18世紀半ば頃までのイギリスでは、傘は主に女性が使う日傘(パラソル)や富裕層のぜいたく品と考えられていました。そのため、男性が雨の日に傘を差すことは「軟弱!」あるいは「馬車にも乗れない貧しい人のすること!」と見なされる風潮がありました。
18世紀の探検家ジョナス・ハンウェイは、ロンドンで雨傘を常用したことで周囲から嘲笑されたという逸話で知られています。しかし19世紀になると実用性が評価され、男性の間にも雨傘が広く普及していきました。
2)新素材の普及
しかし19世紀後半になると、鋼鉄製の傘骨や金属製コルセット芯が大量生産されるようになり、鯨ヒゲに依存する必要は次第に薄れていきます。さらに20世紀に入ってプラスチックなどの新素材が普及すると、鯨ヒゲの需要は急速に減少しました。
かつては捕鯨産業を支える重要な商品だった鯨ヒゲですが、技術革新によってその役割を終え、現在では歴史的な素材として語られる存在になっています。
<1-3> 世界最大の捕鯨国家アメリカ
19世紀に入ると、捕鯨の中心はイギリスからアメリカへ移りました。
マサチューセッツ州のナンタケット島とニューベッドフォードは世界最大級の捕鯨基地として発展し、多数の捕鯨船が大西洋、太平洋、インド洋、北極海へと向かいました。1840年代には世界の捕鯨船約900隻のうち700隻以上をアメリカ船が占めたともいわれ、アメリカは世界最大の捕鯨国家となります。また、当時の捕鯨業はアメリカ有数の基幹産業の一つとして膨大な資本と人員を集めていました。
アメリカ捕鯨の最大の特徴は徹底した遠洋進出でした。船は一度出港すると3〜4年にわたり海上で生活しながらクジラを追い続けました。捕獲したクジラは船の側で解体され、脂肪は船上に設置された大釜で煮られて鯨油となり、その場で樽詰めされました。
この時代の捕鯨船は「海に浮かぶ油工場」とも呼べる存在でした。大量の鯨油を積み込む一方で、利用されなかった肉や内臓の多くは廃棄されました。巨大な産業が生み出した利益の裏側で、膨大な資源が海へ捨てられ、クジラの個体数も急速に減少していったのです。
この時代の捕鯨の姿は、ハーマン・メルヴィルの名作『白鯨』によって今も語り継がれています。
コラム| どれくらいの量を廃棄したの?
19世紀半ば(1840年代)のアメリカ捕鯨船団だけでも、年間で数千頭から1万頭近くの大型クジラ(主にマッコウクジラやセミクジラ)が捕獲されていました。
クジラの全身のうち、油が採取できる「脂肪層」は全体の約30%前後に過ぎません。冷蔵技術がなく、鯨肉を食べる習慣もなかった当時の欧米捕鯨では、油を絞った後の肉・内臓・骨の大部分(重量ベースで約50%〜70%以上)がそのまま海へ投棄されていました。
これを数字に換算すると、大型クジラ1頭あたり数十トンの有用な部位が捨てられていたことになります。アメリカの船団船だけでも、年間で数十万トン規模のタンパク質や有機資源が利用されずに廃棄されていたと推定されています。
<1-4> 資源の枯渇と石油の登場
長年にわたる乱獲によって、近海のセミクジラやホッキョククジラは急速に姿を消していきました。そのため捕鯨船はより遠方の海域へ進出し、マッコウクジラなど新たな対象種を求めて長距離航海を行うようになります。
しかし1859年、アメリカ・ペンシルベニア州で石油産業が本格的に始まると状況は大きく変化しました。安価で安定供給が可能な石油は、照明用燃料や潤滑油の分野で急速に鯨油に取って代わります。その結果、アメリカを中心とする伝統的な帆船捕鯨は次第に衰退していきました。
ところが捕鯨そのものが終わったわけではありません。20世紀に入ると、ノルウェーで開発された蒸気船や捕鯨砲、母船式捕鯨などの新技術によって近代捕鯨が誕生します。これにより南極海を舞台とする史上最大規模の捕鯨が展開され、多くの大型鯨類が再び大量に捕獲されることになりました。
こうした資源減少への危機感から国際的な管理の必要性が認識されるようになり、後の国際捕鯨委員会(IWC)による規制や保護政策へとつながっていくことになります。
コラム|軍用ソナーの影響
クジラやイルカにとって、軍事目的の音響兵器(中周波ソナーなど)は深刻な影響を及ぼします。実際に、米軍やロシア軍などの潜水艦探知訓練に伴い、クジラが大量座礁・死亡するケースが世界中で報告され、論文や学術研究でも立証されています。
1)なぜ軍用ソナーで死亡するの?
クジラは超音波(エコロケーション)を使って位置や障害物を把握しています。潜水艦が発する大音量の音波(ソナー)は、クジラにとって「ジェットエンジンの爆音」に匹敵する衝撃を与えます。パニックを起こしたクジラは、パニック状態で急浮上してしまいます。これにより、人間でいうダイバーの「潜水病(減圧症)」と同じ現象が体内で起き、血液中に窒素の気泡が発生して脳内出血や血管閉塞を起こし、死に至ります。
また、強烈な音で耳(聴覚器官)や脳に障害を受け、方向感覚を失った結果、浅瀬に迷い込んで集団で座礁(ストランディング)してしまうケースが多発しています。
特に「アカボウクジラ」などの深海へ深く潜るタイプのクジラは軍用ソナーの影響を受けやすく、各地での大規模座礁事故との強い関連性が指摘されています。
【2】商業捕鯨と食文化が両立した国
19世紀までの欧米捕鯨が「鯨油を得ることを主目的とし、大量の肉や内臓が廃棄される産業」であったのに対し、一部の国々では「資源としての利用」と「食文化」を結び付けながら発展してきました。
これらの国々では、クジラは単なる産業資源ではなく、地域社会の暮らしや食文化を支える存在でもありました。肉や脂だけでなく、骨・ヒゲ・内臓に至るまで活用し、生活道具や工芸品、肥料として利用する「全身利用」の文化が受け継がれてきたのです。
食文化と商業捕鯨が両立する国々の3つの共通点
- 「丸ごと使い切る」利用文化 :油だけを取るのではなく、肉・皮・内臓を食料として利用し、骨・ヒゲ・歯なども生活用品や工芸品、肥料へ加工するなど、クジラを無駄なく活用する文化が根付いています。
- 地域社会と結び付いた食文化 :捕獲されたクジラは市場や沿岸地域へ供給され、独自の郷土料理や保存食として発展しました。現在も祭りや伝統行事、地域文化の中にその歴史が受け継がれています。
- 近代技術の導入と資源管理への模索 :19世紀末から20世紀にかけて蒸気船や捕鯨砲などの技術を積極的に導入し、一時は世界規模の巨大産業へ発展しました。現在は各国とも資源状況を踏まえながら、商業捕鯨や観光利用との両立を模索しています。
<2-1>日本
日本では古くから「鯨一頭捕れば七浦潤う(一頭捕まえれば七つの港町が潤う)」と言われ、クジラを地域全体の貴重な資源として利用してきました。
縄文時代の遺跡からは鯨骨が出土しており、日本人とクジラの関わりは数千年前までさかのぼります。江戸時代初期(17世紀)になると、紀州(現在の和歌山県)などで網を使ってクジラを追い込む「古式網取り捕鯨」が発達し、組織的な商業捕鯨が確立されました。
▼【動画】江戸時代のクジラ漁:1日ルーティン
戦後の食糧難の時代には、鯨肉は貴重なタンパク源として国民の食生活を支えました。1960年代前半の最盛期には南氷洋(南極海)へ母船式捕鯨船団が派遣され、多量の鯨肉が日本へ供給されます。学校給食の竜田揚げや大和煮などを通じて、多くの日本人にとって身近な食材となりました。
2019年にはIWC(国際捕鯨委員会)を脱退し、日本は排他的経済水域(EEZ)内での商業捕鯨を31年ぶりに再開しました。現在も和歌山県太地町などの沿岸地域を中心に、捕鯨文化と食文化が受け継がれています。

1)鯨の骨
鯨骨は地域や時代によってさまざまな用途に利用されました。縄文時代には鯨底土器の製作台として用いられたほか、針入れや矢尻、紡錘車などの道具にも加工されました。江戸時代以降は細かく砕かれ、骨粉肥料として田畑へ還元されました。
2)鯨鬚(ひげ)
鯨鬚(ひげ)は、硬さとしなやかさを兼ね備えた素材でした。文楽人形の首を動かす「操作索(からくり)」や、釣り竿、ぜんまいなどの部材、高級和服の帯芯などに利用され、人工素材が普及する以前は非常に貴重な材料として重宝されました。
3)皮・筋
皮(コロ)は関西地方を中心に鍋料理(ハリハリ鍋など)や酢の物として利用され、筋は煮込み料理などに加工されました。
4)鯨油
日本でも鯨油は重要な資源でした。灯火用の油や石けんの原料として利用されたほか、江戸時代には水田に発生するウンカなどの害虫防除にも活用されました。
5)血液・胃内容物
血液や胃の中の未消化物なども乾燥させて農業用肥料として利用され、土地へ還元されました。
6)文化行事
日本の捕鯨文化は食文化だけでなく、祭礼や信仰とも深く結び付いています。
和歌山県太地町には捕鯨の歴史を伝える施設や資料が数多く残されており、町内には鯨を供養するための鯨塚や供養碑が建立されています。また、江戸時代以降、捕獲されたクジラへの感謝と慰霊のための法要や供養祭が各地で行われてきました。
▼【動画】鯨塚
太地町周辺では、古式捕鯨の歴史を再現・紹介する催しや地域行事も開催されており、捕鯨を単なる産業ではなく地域の歴史・文化として後世へ伝える取り組みが続けられています。
長崎県の平戸市や生月島、山口県の長門市、千葉県南房総市など、かつて捕鯨が盛んだった地域にも鯨供養塔や祭礼が残り、人々とクジラの長い関わりを今に伝えています。
<2-2>ノルウェー
北大西洋に面したノルウェーでは、古くから厳しい自然環境の中で海の恵みに支えられて暮らしてきました。沿岸部ではクジラも重要な海洋資源の一つであり、肉や脂を利用する文化が根付いていました。9世紀のバイキング時代には、すでに小型鯨類を利用していたとされています。
1)近代捕鯨革命
1860年代、ノルウェー人のスヴェン・フォインは、蒸気船と炸薬式捕鯨砲を組み合わせた近代捕鯨法を開発しました。これにより、それまで捕獲が難しかったナガスクジラなどの高速で泳ぐ大型鯨類も効率的に捕獲できるようになります。
その後、ノルウェーの捕鯨船団は南極海へ進出し、母船上で解体や採油を行う母船式捕鯨を発展させました。20世紀前半には世界の捕鯨産業を主導し、1930年代には世界最大級の鯨油生産国として知られるようになります。
1993年にはIWCの商業捕鯨モラトリアムに異議を申し立て、自国の排他的経済水域(EEZ)内でミンククジラを対象とした商業捕鯨を継続しています。
2)鯨の食文化
現在もクセの少ないミンククジラの赤身肉をステーキにしたり、シチューや干し肉に加工して食べる習慣が残っています。消費量は減少したものの、一部地域では伝統食として親しまれています。
<2-3>アイスランド
北大西洋に浮かぶ火山と氷河の島国アイスランドでも、クジラは魚介類と並ぶ重要な海洋資源でした。中世の法典には漂着したクジラの所有権や分配方法が記されており、古くから人々の生活と結び付いていたことが分かります。
1)捕鯨文化
第二次世界大戦後、自国領海内での近代捕鯨基地(ハフナルフィヨルズゥルなど)を拠点に、ナガスクジラやミンククジラを捕獲。肉は自国消費および日本へ輸出され、外貨獲得の柱となりました。
2006年に商業捕鯨を再開しましたが、その後は需要の変化や輸送コストの上昇などにより捕獲規模は縮小しています。現在のアイスランドは、捕鯨を継続するか、観光利用へさらに重点を移すかという過渡期にあります。
2)ホエールウォッチング
現在のアイスランドでは、ホエールウォッチングが重要な観光産業へ成長しています。
周辺海域にはザトウクジラ、ミンククジラ、シャチなど多くの鯨類が生息しており、特に北部のフサヴィークは「ヨーロッパのホエールウォッチングの首都」とも呼ばれています。観光客は自然の中でクジラを観察する体験を楽しみ、近年では捕鯨と並ぶ海洋利用の象徴的な存在となっています。
<2-4>韓国
韓国にも鯨を食べる文化と捕鯨の歴史があり、その中心地として知られているのが韓国南東部の蔚山(ウルサン)です。なかでも長生浦(チャンセンポ)は、20世紀中頃から1980年代にかけて朝鮮半島最大級の捕鯨基地として繁栄しました。数十隻の捕鯨船が集まり、ミンククジラやコククジラなどが水揚げされ、鯨肉の加工業や飲食業を中心とした産業が発展しました。また、日本やロシアの捕鯨船が朝鮮半島沿岸で操業していた時代もありました。
蔚山には、新石器時代から青銅器時代にかけて制作された国宝「盤亀台岩刻画(バングダイ・アンガッカ)」が残されています。そこには、銛を打ち込まれたコククジラや躍動する多数のクジラが精巧に描かれており、世界最古級の捕鯨活動を示す証拠の一つとされています。
韓国は1986年の国際捕鯨委員会(IWC)による商業捕鯨モラトリアムを受け入れ、現在は商業捕鯨を全面的に禁止しています。
1)混獲肉の利用と長生浦の現在
現在の韓国では意図的な捕獲は禁止されていますが、漁網に偶発的にかかったクジラ(混獲)が確認された場合は、海洋警察による調査と法的手続きを経て競りにかけることが認められています。蔚山や釜山などには鯨料理の専門店があり、茹でた鯨肉を辛子味噌や塩で食べる「鯨肉のゆで肉(コレイゴギ)」などの伝統料理が現在も親しまれています。
かつての捕鯨基地であった長生浦は、現在「長生浦鯨文化特区」として再整備され、鯨博物館や往時の捕鯨村を再現した施設が並ぶ、韓国の鯨文化と歴史を伝える観光拠点となっています。
コラム|クジラが混獲されるの?
「アジやサバを獲る普通の網に、あの大きなクジラが本当にかかるの?」と疑問に思う人もいるかもしれません。しかし実際には、クジラが漁業用の網に迷い込んでしまう事故は世界各地で発生しています。
特に混獲が起こりやすいのは、沿岸に設置された大型の定置網や、魚が通ると体に絡まる刺し網(ギルネット)、流し網などです。クジラは回遊中にこうした網へ入り込み、絡まったり閉じ込められたりすることがあります。
日本でもミンククジラが定置網に入り込む事例があり、日本の鯨類研究機関も、日本沿岸で発生する大型鯨類の混獲の多くが定置網への絡まりによるものだと説明しています。
1)なぜ死亡するの?
クジラは海に生息していますが、魚のようにエラで呼吸するのではなく、人間と同じ哺乳類であり肺呼吸をしています。そのため、頭の上にある噴気孔(ふんきこう)を水面に出して定期的に息継ぎをしなければなりません。
網に絡まったり、深い場所に沈んだ網の中に閉じ込められたりすると、水面まで浮上して呼吸することができなくなります。クジラは種類によって数十分から1時間以上潜水できるものもいますが、限界を超えると酸素不足となり、最終的には溺死してしまいます。
国際捕鯨委員会(IWC)によれば、クジラ類の混獲は世界で最も深刻な保全上の脅威の一つとされており、クジラ・イルカ・ネズミイルカ類を合わせて、毎年少なくとも30万頭が混獲によって死亡すると推定されています。
2)その鯨はどう処理するの?
クジラが生きたまま発見された場合は、専門のレスキューチームや関係機関が出動し、網を切るなどして救出・放流を試みます。
一方、すでに死亡していた場合は、海岸へ引き上げた後に埋却、焼却、沖合への曳航・沈降処分などが行われます。また、一部の個体は生態調査や骨格標本の作製のため、大学や研究機関に引き取られることもあります。
日本や韓国のように鯨食文化が残る国では、「生きている個体は可能な限り救出して海へ戻す」というのが大原則です。しかし、すでに死亡している場合や救出が不可能な場合には、一定の手続きを経て食用利用が認められる制度があります。
日本では、定置網などに偶発的に入ったミンククジラなどのヒゲクジラ類について、死亡していることが確認され、関係機関への届け出やDNA採取などの所定の手続きが行われた後であれば、水揚げして競りにかけ、食用として流通させることが認められています。
また、死亡してから間もない個体であれば、速やかに内臓処理や血抜き、冷却などを行うことで食用として利用できます。反対に、死亡後長時間が経過して腐敗が進んでいる個体は食用に適さず、廃棄されたり、肥料や油脂原料として利用されたりします。
つまり、「混獲されたクジラを食べる」のではなく、本来は救出を最優先とし、それができない場合に限って資源を無駄にしないための利用が認められているのです。
【3】生存捕鯨の世界
極圏や南太平洋などの厳しい自然環境下で暮らす先住民にとって、捕鯨は利潤を追求する「ビジネス(商業捕鯨)」ではありません。自らの生命を維持し、伝統的なコミュニティや文化を維持するための「生存捕鯨(Subsistence Whaling)」です。
国際捕鯨委員会(IWC)でも、先住民の権利と伝統継承を守るため、商業捕鯨モラトリアム(一時停止)とは別枠で「先住民生存捕鯨(ASW)」としての捕獲枠を設定しています。
なお、現代の生存捕鯨は単なる完全自給自足にとどまりません。グリーンランドをはじめとする現代の捕鯨現場では、船の燃料費や近代的な狩猟装備の調達、地域生活の維持のために、捕獲した鯨肉や製品を地域市場で売買し、現金経済と結びついているケースも一般的です。利益の追求ではなく「狩猟の持続と地域の生計維持」を目的とした経済活動である点が、商業捕鯨との決定的な違いです。

生存捕鯨に共通する4つの本質
- 丸ごと使い切る「命への敬意」 捕獲したクジラは食料(肉・脂)としてだけでなく、住居の骨組みや日用品の道具としても余すことなく活用されます。
- 共同体を支える「分配と地域内取引」 一頭で数トンにもなるクジラは、捕獲に関わった者だけでなく村全体へ厳格なルールで分配されます。また現代では、地元の市場で販売・交換されることで、狩猟を行わない地域住民の貴重な栄養源や生活の支えとなっています。
- 継承される「環境知(口承知)」海氷の動き、風向き、クジラの習性など、何世代にもわたって口伝されてきた細やかな自然知識がなければ成立しません。
- 文化と生計の維持を目指す資源利用大企業のような最大利益の追求(商業捕鯨)ではなく、地域社会の自給自足と生計維持を目的として運用されています。
コラム|極北の捕鯨先住民たち
かつて彼らは「エスキモー(生肉を食べる人)」と呼ばれていましたが、これは他民族からの蔑称とされることが多いため、現在では各地域と民族の自称に基づいて以下のように区分されています。
| 民族・呼称 | 主な居住地域 | 特徴 |
|---|---|---|
| イヌイット(Inuit / カラードリット) | グリーンランド、カナダ東部〜北部 | 「人」を意味する自称。グリーンランドではカラードリットとも呼ばれる。 |
| イヌピアット(Iñupiat) | アラスカ北部(ウトキアグヴィクなど) | 「真の人」を意味する自称。ホッキョククジラ捕鯨で知られる。 |
| ユピック(Yupik / シベリア・ユピック) | アラスカ南部〜西部、セントローレンス島、ロシア極東(チュコト半島沿岸) | 海獣狩猟や漁撈文化を発展させた北極圏先住民。 |
| チュクチ(Chukchi) | ロシア極東・チュコト半島 | 言語系統が異なる先住民。「海のチュクチ(海獣狩猟民)」と「陸のチュクチ(トナカイ飼育民)」に大別される。 |
いずれの民族も、農耕が不可能な極寒の世界で、クジラやアザラシなどの海獣を狩る高度な技術を発展させて生き抜いてきた共通の歴史を持っています。
<3-1>アラスカ先住民
アラスカ北部のウトキアグヴィク(旧バロー)などの沿岸部では、イヌピアットやユピックと呼ばれる人々がホッキョククジラ(Bowhead Whale)を中心に捕獲を行ってきました。

1)捕鯨技術の変遷
伝統的には、石や骨の刃をつけた木製の銛(もり)と、アザラシの皮を丸ごと膨らませた浮き(アヴァタック)を使用していました。クジラに銛を打ち込んで浮きを幾つも付け、抵抗で疲弊させて浅瀬に誘導し、最後に長槍で留めを刺すという、膨大な時間と危険を伴う命がけの狩猟でした。
19世紀後半、捕鯨船でやってきた欧米人から伝わった「肩撃ち砲(Shoulder gun)」と「爆発銛(Bomb lance)」を導入しました。これは銛の先端にある小筒がクジラの体内で爆発する仕組みで、巨大なホッキョククジラを即死・短時間で苦痛なく仕留めることが可能になりました。クジラに逃げられて死骸を失うリスクを劇的に減らしました。
2)春と秋で異なる狩猟スタイル
アラスカの捕鯨は「春(4〜5月)」と「秋(9〜10月)」の年2回行われ、海の状況に合わせて装備を使い分けます。
◎春の捕鯨(固定氷の水路での待ち伏せ)
春の海はまだ一面の固定氷(Fast ice)に覆われており、氷にできたわずかな隙間・水路(リード)をクジラが通ります。その為、春の捕鯨では、手漕ぎ皮船「ウミアック」を使用します。何故なら、クジラは水路を泳ぐため距離が非常に近く、水中での音が驚くほど響きます。モーター音を出した瞬間にクジラは氷の下へ潜って逃げてしまうため、静音性に優れたアザラシ皮の無音の手漕ぎ舟(ウミアック)が必須になります。また、鋭い氷の角に当たっても、柔らかい皮船のほうが木や金属船より衝撃を吸収して割れにくいという利点もあります。
▼【動画】アラスカ北部のイヌピアットによる伝統的な捕鯨
◎秋の捕鯨(開けた海での追走)
9〜10月になると海氷が溶け、広大な「開けた海(Open water)」となるため、1960〜70年代以降に普及したアルミやFRP製のエンジンボートを使用し、遠方のクジラを一気に追走して捕獲します。
3)マックタック(Muktuk)
アラスカ先住民の食文化を代表するのが「マックタック(Muktuk)」です。ホッキョククジラの皮膚と表皮下の脂肪層を切り取ったもので、そのまま生で食べるほか、貴重な保存食として大切に食べ継がれています。
▼【動画】イヌピアックの食文化:マックタック(Muktuk)
<3-2>グリーンランド
全土の大部分が厚い氷床に覆われたグリーンランドでは、農業がほぼ不可能であり、海からの恵みが生きるためのすべてでした。
1)捕獲対象と現代の装備
アラスカと異なり、ホッキョククジラだけでなくナガスクジラ、ミンククジラ、さらにはイッカクやシロイルカ(ベルーガ)まで多様な鯨類を対象とします。伝統的なカヤックから近代的な小型ボートやライフル、爆発頭部付き銛へと道具は進化しましたが、現在もIWCによる厳格な年間捕獲枠のもとで実施されています。
2)マタクとスアーサット
アラスカのマックタックと同様に、グリーンランドでも皮と脂肪は「マタク(Mattak)」と呼ばれ、生のまま塩を振って食べるほか、燻製や乾燥にして冬の保存食とします。また、赤身肉はタマネギ、ジャガイモ、米などとともに煮込んだスープ「スアーサット(Suaasat)」として親しまれており、極寒の体を温める国民的ソウルフードとなっています。
▼【動画】スアーサット(Suaasat)
<3-3> ロシア極東
ベーリング海峡を挟んでアラスカの対岸に位置するチュコト半島では、沿岸の先住民(チュクチ族やシベリア・ユピック族)が古くから捕鯨を行ってきました。
1)コククジラ捕鯨と技術の復活
ロシア極東の大きな特徴は、気性が荒く危険とされる「コククジラ(Gray Whale)」を主な標的にしてきた点です。 アラスカ同様、古来は手漕ぎ船と浮き(フロート)を使った銛打ちを行っていました。ソ連時代には先住民の伝統的狩猟が制限され、国家の大型鋼鉄船が代わりに捕獲・陸揚げする「近代化」が行われましたが、ソ連崩壊後は再び地域の先住民が自力でボートと爆発銛などを駆使し、伝統捕鯨を復活させました。
2)海陸の交流と骨の利用
チュクチ族には「海のチュクチ(捕鯨)」と「陸のチュクチ(トナカイ飼育)」が存在します。捕獲されたクジラの肉や脂は、沿岸の集落だけでなく、内陸でトナカイを追う人々の元へも交易や分配を通じて運ばれました。また、樹木が一切生えないツンドラ地帯において、堅牢で巨大なクジラの肋骨や顎骨は、住居の柱(ヤランガというテントの骨組み)や肉の保管庫の枠組、フェンスを建てるための貴重な建材として利用されました。
▼【動画】チュコト半島の先住民による捕鯨
コラム|アザラシやトナカイと何が違う?生存捕鯨「3つの凄さ」
極北の地には、アザラシ、セイウチ、トナカイなどの獲物も存在しますが、その中でもクジラは別格の価値を持っています。
1) 栄養価
- 壊血病を防ぐビタミンC 加熱すると壊れてしまうビタミンCですが、新鮮なクジラの表皮・脂肪(マックタック/マタク)を「生」で食べることで、野菜が皆無な環境でも柑橘類に匹敵する量のビタミンCを摂取できます。
- 高タンパク・鉄分豊富な赤身肉 クジラ肉の赤身は高タンパク・低脂質で、高濃度のミオグロビン(酸素を蓄える筋肉成分)を含みます。鉄分が非常に豊富で、極寒での血行促進や貧血防止に絶大な効果を発揮します。
- 抗疲労成分「バレニン」 鯨肉にはイミダゾールペプチドの一種である「バレニン」が大量に含まれています。何千キロも休みなく泳ぎ続けるクジラのスタミナの源であり、過酷な環境で働く先住民の疲労回復を強力にサポートします。
2) 極上の味覚
アザラシやセイウチの肉は血生臭さや獣臭が強く癖がありますが、ホッキョククジラやミンククジラの赤身肉は「マグロの赤身と牛肉の中間」のような癖の少ないジューシーな旨味を持っています。さらに皮と脂肪の「マックタック」は、噛むほどにナッツのようなコクが広がる「最高の御馳走」と評されます。
3)鯨骨と髭
木材が存在しないツンドラ地帯において、クジラの骨(特にアゴや肋骨)は極めて高密度で頑丈であり、過酷な吹雪にも耐える住居(ヤランガ)の柱やフェンス、ソリの滑走部に最適でした。
また「鯨ヒゲ(バリーン)」は、曲げても折れない最高の弾力素材として、狩猟用のワナ、水汲み容器、装飾品、さらには欧米への輸出用のコルセットや傘の骨として重要な価値を果たしました。
<3-4>世界に残る伝統捕鯨
生存捕鯨というと北極圏のイヌイット社会を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、クジラとともに暮らしてきた人々は極北だけに存在したわけではありません。世界各地には、現在も伝統的な方法で捕鯨を続ける地域や、かつて捕鯨文化を生活の基盤としていた共同体が残っています。
1) インドネシア・ラマレラ村
インドネシアのレンバタ島にあるラマレラ村は、世界で最も危険で伝統的な捕鯨を守り続けている地域として知られています。
村人たちは釘を使わずに組み上げた木造の手漕ぎ船「ペダン(Pledang)」に乗って出航します。主な標的は、体重数十トンに達する凶暴な「マッコウクジラ」です。銛打ち役である「ラファ・モラ」が船首からクジラへ飛び移り、自らの体重を利用して竹製の銛を打ち込むという極めて危険な伝統技術が今も受け継がれています。
ラマレラ村の海岸は岩場ばかりで農耕に適した土地が少なく、海から得られる資源が暮らしを支えてきました。そのため、解体されたクジラの脂や塩漬け肉は、内陸部の農耕民との物々交換にも利用され、野菜や芋などの食料へと換えられます。クジラは単なる獲物ではなく、地域社会を支える重要な生活資源なのです。
2) 南太平洋諸島(トンガ)
現在のトンガでは捕鯨は禁止されていますが、かつてクジラは神聖な存在であり、重要な資源でした。
19世紀になると欧米の捕鯨船から技術が伝わり、ザトウクジラを対象とした沿岸捕鯨が行われるようになります。しかし資源量の減少を受け、1978年に国王の宣言によって捕鯨は禁止されました。
現在では、かつての知識や経験を活かしながらホエールウォッチングへと転換し、多くの観光客がザトウクジラを目当てに訪れています。クジラを「獲る対象」から「共に生きる資源」へと変えた事例として注目されています。
3) セントビンセント・グレナディーン(ベキア島)
カリブ海のベキア島は、IWCによって「先住民生存捕鯨(ASW)」の枠が正式に認められている数少ない島国です。
19世紀にアメリカの捕鯨船員から伝わった伝統技術が受け継がれており、現在も小型の帆船と手投げ銛を用いた伝統的な方法で捕獲が行われています。捕獲数は年間わずかで、得られた肉や脂は地域社会の中で消費されます。
大規模な商業捕鯨とは異なり、古くから続く地域文化と生活を維持するための捕鯨として、特別な位置づけが認められています。
コラム|極北と南洋の生存捕鯨比較
同じ「生存捕鯨」と呼ばれていても、北極圏と南洋では自然環境も対象となるクジラも大きく異なります。その違いは、狩猟方法や食文化にも色濃く表れています。
北極圏のイヌイット社会では、主にホッキョククジラやコククジラが捕獲対象です。春には海氷の割れ目を通過するクジラを静かに待ち伏せるため、エンジン音のない手漕ぎ船が重視されます。一方で、確実かつ迅速に仕留めるために爆発銛などの近代的な装備も取り入れています。また、クジラの皮と脂肪から作るマックタック(マタク)は貴重な栄養源であり、ビタミンCを補給する重要な食料として受け継がれてきました。
これに対して南洋のラマレラ村では、主な対象は潜水能力に優れたマッコウクジラです。村人たちは現在もエンジンを使わない伝統木造船で海へ出て、人が直接クジラへ飛び移って銛を打ち込むという古来の方法を守っています。捕獲したクジラは村で消費されるだけでなく、乾燥肉や脂を農耕民との物々交換に用いるなど、地域社会全体を支える重要な資源となっています。
極寒の海と熱帯の海という環境の違いはあっても、どちらの社会にも共通しているのは、クジラを単なる商品ではなく、暮らしと共同体を支える存在として大切にしてきたことです。
まとめ
世界の捕鯨史をたどると、「捕鯨」という一つの言葉では表せないほど、地域によってクジラとの関わり方が違っていたことが分かります。
17〜19世紀の欧米では、クジラは鯨油や鯨ヒゲを生み出す重要な産業資源でした。照明、潤滑油、石鹸、コルセット、傘など、近代社会のさまざまな製品を支えるために捕鯨が拡大し、やがて資源の枯渇を招いていきます。
一方、日本や韓国、ノルウェー、アイスランドなどでは、クジラは食文化や沿岸地域の暮らしと結び付いてきました。肉や脂だけでなく、骨、皮、ヒゲ、油などを利用することで、一頭のクジラからできるだけ多くの資源を得ようとする文化も発展しています。
さらにアラスカ、グリーンランド、ロシア極東の先住民社会では、捕鯨は食料を得るためだけの行為ではありません。捕獲したクジラを共同体で分配し、肉や脂を食べ、骨やヒゲを道具や建材として使い、自然環境を読む知識を次世代へ伝える。そこには、極北の環境で暮らし続けるための総合的な生活文化があります。IWCもこうした先住民生存捕鯨について、文化的・栄養的な必要性とクジラ資源の保全を両立させるための捕獲枠を設定しています。
クジラは、ある地域では「産業資源」であり、別の地域では「食料」であり、また別の地域では「共同体そのものを支える資源」でした。
捕鯨の歴史を見ることは、単にクジラをどれだけ獲ったかを知ることではありません。
人間が海の生き物を、どのような価値観で利用してきたのか。
その違いを知ることで、世界各地の捕鯨文化が持つ背景も見えてきます。